どこでもドアノブ
これを壁にかけたら、そこにドアが生まれます。
このドアは開きません、
このドアは見えません。
このドアは心の中で開きます。
そこに自分だけの秘密の部屋が生まれます。
それが、どこでもドアノブです。
編集デザイン専攻の学生たちとイラストを描いていた1年間
テーマは『ありえへん』と『社会を作りなおす』でした。
通学路で見かける『飛び出し注意』の看板を自分流に作り直そうとか
トランプの絵札を自分流に作り直そうとか。
ドアの取っ手もあんまり味気ないから、作り直そう、自分流に。と提案しました。
ヨーロッパの伝統的な建物とかでは、ドアノブやドアノッカー、ベッド飾り等
ほんとうに個性的で意味深いものがあるよ、面白いからやってみよう、と。
彼らも僕も工業デザイナーではありませんし、それにどうしてもともすれば
どこで刷り込まれたのか解らない、どこかで刷り込まれたのに違いない
どこかで見たようなものを自分と勘違いして、疑問にも思わず、疑いもせず、
注意すら払わず、他の可能性を思うことすらなく、もちろん敬意をはらうことなどなく
絵を描いたりしてしまうので、必ず実際には使えそうにない『ありえへん』ものを
という足鎖付きで。すると、街を歩いていて工具がそのままドアノブになっているのを
見つけたりする学生も現れ、よかったかなと思います。
僕はどんなカリキュラムももたないダメ先生なので、学生に提案したことは
自分も一緒にやりました。
殆どの時間をコンピューターと睨めっこしてイラストを作成している僕は、
実際には表現手段というものを持ちません。
モニター上で確認しているものは、まだ仮想です。形になる、手にとって見られる
ものにするのは印刷屋さんです。
このどこでもドアノブも鍵穴さえちゃんと開けられませんでした。
そう言う意味でこの粘土と木ぎれの工作も仮想です。
しかし、僕にとっては絶対必要な遊びなのでしょう。趣味ですらないでしょう。
仕事以外で描いたり作ったりするイラストや手作り絵本やこんな粘土細工は
みんな大事な遊びです。何故大事かというと・・・・?
その時の自分の価値観をノートに書き留めるみたいに作品に刻めるから。
明日見たら自分にとっても無価値ななぐり書き。
だからこそ、ほんとは極めないといけないんだけど・・・
このドアは開きません、
このドアは見えません。
このドアは心の中で開きます。
そこに自分だけの秘密の部屋が生まれます。
それが、どこでもドアノブです。
編集デザイン専攻の学生たちとイラストを描いていた1年間
テーマは『ありえへん』と『社会を作りなおす』でした。
通学路で見かける『飛び出し注意』の看板を自分流に作り直そうとか
トランプの絵札を自分流に作り直そうとか。
ドアの取っ手もあんまり味気ないから、作り直そう、自分流に。と提案しました。
ヨーロッパの伝統的な建物とかでは、ドアノブやドアノッカー、ベッド飾り等
ほんとうに個性的で意味深いものがあるよ、面白いからやってみよう、と。
彼らも僕も工業デザイナーではありませんし、それにどうしてもともすれば
どこで刷り込まれたのか解らない、どこかで刷り込まれたのに違いない
どこかで見たようなものを自分と勘違いして、疑問にも思わず、疑いもせず、
注意すら払わず、他の可能性を思うことすらなく、もちろん敬意をはらうことなどなく
絵を描いたりしてしまうので、必ず実際には使えそうにない『ありえへん』ものを
という足鎖付きで。すると、街を歩いていて工具がそのままドアノブになっているのを
見つけたりする学生も現れ、よかったかなと思います。
僕はどんなカリキュラムももたないダメ先生なので、学生に提案したことは
自分も一緒にやりました。
殆どの時間をコンピューターと睨めっこしてイラストを作成している僕は、
実際には表現手段というものを持ちません。
モニター上で確認しているものは、まだ仮想です。形になる、手にとって見られる
ものにするのは印刷屋さんです。
このどこでもドアノブも鍵穴さえちゃんと開けられませんでした。
そう言う意味でこの粘土と木ぎれの工作も仮想です。
しかし、僕にとっては絶対必要な遊びなのでしょう。趣味ですらないでしょう。
仕事以外で描いたり作ったりするイラストや手作り絵本やこんな粘土細工は
みんな大事な遊びです。何故大事かというと・・・・?
その時の自分の価値観をノートに書き留めるみたいに作品に刻めるから。
明日見たら自分にとっても無価値ななぐり書き。
だからこそ、ほんとは極めないといけないんだけど・・・