klimbrothers’s 童話と絵ブログ

本当ハ面白イクリム童話と絵描きグスタフクリムのブログです。

疑似彫金

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子供用の教材

妻が勤めている会社の見本市で体験。

11時頃から6時前まで夢中になってやっていた。
箔を貼り始めたら、これは後は根気勝負やぞ、ちょっと集中力がもたへんかも
と『お昼とらせて頂きます』って、まるで社員さんみたいに断ってお昼を食べた。

成形された木製のプレートに切り抜ける白ボードを貼るだけ。
彫刻刀でほったり、粘土で彫塑してもいいけど、僕がしたことはボードを並べただけ。
せいぜい、既製の白ボードにはない自分の似顔を作るために、目の前にあった紙コップをハサミで切り抜いたくらい。

その上に0.06mm厚の銅箔シールをもみくちゃにして細かくちぎって更に貼る。
本来は百倍くらいに薄めて使う温泉の元である硫黄液を濃いめに薄めて塗布しいぶす。
グラスウールで磨いて光沢をだす。

もっと磨けばキラキラになる。でも僕はまるで廃墟の門扉みたいにゴテゴテのままニスを塗って仕上げた。

僕はイラストレーターやけど僕の作品には芸術的価値はない。使い切り。
せいぜい何十年かたったら、昭和から平成へかけてのイラストとして、そこに時代を見る人がいるかも知れない。

だから、これも僕の作品。芸術的にも美的にも全く無価値だけれど、しかもこれはお金にもならないけれど、毎日描いているイラストと何にも変わらない。

既製のボードにあった草柄ボードを四枚並べて一枚だけ列から飛び出させた。何の意味もない。何となくリズムで。その後から更に洒落でその下に新芽に見えるようにまたボードを貼った。まるで、乳歯が抜けて永久歯が生えるみたいに。まるで、これがこの作品のコンセプト。

よく適当に描きました。コンセプトはあとからこじつけました、へへへ。
って言うのを聞くけど、それが正解だと思う。
人は最初は単細胞。分裂して分裂してやがて、心らしきものが現れる。
卵子の時から悩んでたら、ちょっとびびる。ロマンチックでええかも知れんけど。心は体の後輩。先輩より頭がいいから、体にいいアドバイスすることもあるけど、何にも解ってないことも多い。先輩である体が動いて始めてなんか気付いたりする。先輩の体は阿呆やから、目暗滅法やから、後輩の心が気付いたことは言うたらなあかんことももちろんある。
でも、僕の心も阿呆。なんにも解ってへん。明日のことも解らない。5分後のことも予言出来ない。先輩の体が阿呆の時も、後輩の心が阿呆の時もしょっちゅうある。どっちも怠け者。どっちも賢くて、めっちゃ頑張り屋さんの人はほんまに凄いね。でも、これが僕やからね。人を羨ましがっても、変われる訳違うからね。

そんなこんなでイラストレーターの僕は何の値打ちもないものを毎日ゴミのように生み続けて生きてる訳。どう後輩に言い訳したらええねんやろう。どう先輩に説明したら納得してくれるねんやろう。
自分を愛するしかないね。こんな無価値な自分を好きになるしかないね。何処を好きになったらええねんやろう。
ダビンチにもミケランジェロにも荒井良二にもクリムトにも本阿弥光悦にも宮澤賢治にもなられへん、なろうともしていない自分をどないして好きになったらええねんやろう。自分のことは忘れて、ミケランジェロ荒井良二宮澤賢治を好きでいたらそれでええんかも知れん。だって、無理や。愛せない。好きになれない。だから、せめて大事にしてやろう。大事にしてあげられるのはミケランジェロでも荒井良二でも宮澤賢治でもないもんね。自分しか大事にしようがないもんね。

まぁ、強いて言えば観客としての自分は大好き。安物しか知らんけど、ホンマに誰も気がつかへん素晴らしい(ちょっと意味不明)ところをいっぱい見つけて僕を楽しませてくれるから。これは多分先輩後輩見事に協力してるんちゃうかなぁ。