klimbrothers’s 童話と絵ブログ

本当ハ面白イクリム童話と絵描きグスタフクリムのブログです。

姉妹都市

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情報化時代って言うけど

今、誰の、何処の情報が、誰に、何処に届いてるの?

って思う。



神戸に住んでた時

火事になっても何処に連絡したらいいのか解らなかった。

でも、誰かからか、何処かからか、消防署に情報が伝わったらしい。

消防車が来た。

でも、消防車は僕たちの街を通り過ぎて

隣の街に消えた。

腹立ててる人もいたけど、どっちが先なんて言いようがない。



世界中に情報が届き、世界中から支援が届いてるらしいけれど

その支援がある街を通り過ぎて、隣の街にしか届いてないところが

いっぱい取り残されてるらしい。

あの神戸の消防車みたいに。



そんな苦難の情報が僕に届いても

僕はどうしたらいいの?



たとえ政府に届いていても

メディアがゲットしていても

その時すぐに救援出来るところは何処?

順番を待つしかないの?

手遅れになるのを待つしかないの?



神戸の時、僕は思った。

中央消防署にどんなに時代の最先端の消防車があっても

そういう中央集権的な仕組みでは間に合わない、届かないことがある。

たった一軒の小火から始まった火事がその間に街中を灰にしてしまった。

もし町内ごとに貯水池があったら、古くてもいいから消防車があったら。

昔みたいに自警団があったら・・・。

人災やな、これは、って。



でも、東北大地震は神戸の比やない。

天災が去った後の人災が延々と続く。

情報は僕にでも届いているのに救援は桁外れに遅れている。

政府も天災への対応は神戸から学び、大分早くなった。

あの時これくらい早く自衛隊が動いてくれていたら

助かった人の数はもっと増えていたと思う。



情報化時代と言っても

その情報が誰に届くかが大事。

すぐに助けられる誰かに何処かにとどかないと空しいばかり。



日本中の市も町も村も姉妹都市で結びついて欲しい。

どの市町村にも助け合える姉妹都市があったら

空中を彷徨う情報とは違って

ちゃんと届くべきところに届く。



僕が震災直後に助けてもらったのは隣のお爺ちゃんとお婆ちゃん。

その後本当は神戸に留まりたかったけど、僕たちを引き取ってしばらく面倒みてくれたのは

比較的被害の小さかった父親方の親戚。そして母親。

誰にも情報を発信もしていないのに

僕たちの存在を知っていてくれたのは、当然と言えば当然親戚だった。



全ての街と村にも

たとえ電話が繋がらなくても、ネットが繋がらなくても

すぐに駆けつけてくれる何人かの親戚を持って欲しい。

海外にではなく、国内に姉妹都市のネットワークを持って欲しい。



情報を発信しても、それ何処?なんて言われない

ちゃんと自分たちのことを知ってくれている親戚のような

姉妹都市を。



こちらは友達の苦悩・・・・。

http://ameblo.jp/geneto/entry-10839053195.html