一番我を忘れて幸せになれるのは
触覚が感じる冷気。
視覚は光。モノの形ではなく光り。淡くとも眩しくとも。
聴覚に幸せはない、幸せになれる音はないと思い込んでいたけれど、あった。
聴覚がそれと気付く幸せは静寂。音色ではなく静寂。
それらは、ある情景と結びつくけれど
幸せな情景を思い出させてくれるというわけではない。
たまたまその時、幸せを感じていたのだ。
余計なことだが、こうして色々思うと
自分にとっての不幸せは意味にあるという気がする。
意味からの解放が幸せにとってなくてはならないものに思える。