klimbrothers’s 童話と絵ブログ

本当ハ面白イクリム童話と絵描きグスタフクリムのブログです。

クリムへの過剰な警告!

症状の一つではあるけれども

痛みは

病や怪我そのものではなく

警告、もしくは警報である。


という説があります。


正しいかどうか議論したいのではありません。

もし、痛みが無かったら、気がつけば歯が一本も無くなっていたり

それどころか指も数本、腕さえも・・・

辺り一面、汚・・・・と吐・・・・・だらけになったり・・・

これは別に異常なことではありません。

皆そうで、人とはそう言う物なのであれば、今の僕らの生活からは

全く想像も付かない別の人社会があるのでしょう。



(お茶が入ったそうなので、一旦休憩します。)


(お茶おいしかったです。)



危険や異常を伝えるという役割さえ果たせればいいのであれば

それが敢えて痛い必要はないのでしょう。

最近の電車がホームに接近する時の警告音はまるで心地よい和音であったり

パソコンの警告音も各自心地よい音に変えて、ただ『ああ、わかった』ですむようにしています。



警告がこんなに痛いのは、ただああわかったですまされては困る、それを取り除こうと

必死になって貰わなければ困るからなのでしょう。

赤ちゃんの泣き声があんなに痛いのは、もっともな話です。

自分で危険を回避出来ない赤ちゃんは周囲の人にその原因を取り除こうと努力して

もらえなければ生きてゆけないかも知れないでしょう。赤ちゃんの泣き声が

天使の歌声のように心地よかったら、みんな病気の赤ちゃんに気付かず昼寝してしまうでしょう。

ところが最近は原因ではなく、警告を発している赤ちゃんそのものを

排除する人がいます。馬鹿!




とはいうものの(ここからやっと僕自身の話になります。こういう展開は大変不謹慎に

感じられる方も大勢いらっしゃるでしょうから、ここまで読んでくださった皆様、ありがとう

ございました。これ以上読まないでいただいても結構です。)、クリムにとって痛みは

あまりにも過剰な警告に思えます。


先日、台所のシンクを掃除していた時、排水溝にはめてある筒状のネットの金具で

親指の爪の付け根を突いてしまいました。飛び上がるほどいたく、そのまま洗い物を続けていると

何度も足の指を曲げて痛みを堪えなければなりませんでした。怪我したのは足ではありません。手です。



(ここまでの文章が消えてなくなるのはショックが大きすぎますので、ここで一旦保存します。)



指の怪我は気を付けないとヒョウ疽になったりしたら大変です。

しかし、見ると1mmか2mmほど爪を逸れています。あとから腫れ上がりましたが

心配するような大怪我ではありません。にもかかわらずです。この痛みはなんでしょう。

大袈裟過ぎます。過剰です。


そこで僕は痛みに神経を集中しました。そして痛い場所を特定しました。

数センチ離れただけでそこは痛くありません。ましてや足の指が反応するなんて。

私は痛みに集中して、こう言いました。

『わかった。もう解ったから。後で消毒して薬を塗ってあげるから。もうそれ以上大声を出して

他の指や足の指を脅かすのは止めようね。僕が責任をもって君を守ってあげるから。』

お尻が痒くなるような言い回しですが、仕方ありません。なんとか静かにそこで洗い物が終わるまで

じっとしていてもらわなければいけませんから。



わたしは子供の頃からこむら返りのような筋肉の痙攣を起こします。あの痛みは長くても数分で

納まりますが、痛みとしてはトップクラスでお腹が痛いとか頭が痛いとかとは比べ物になりません。

これが一生続いたら、僕はこの痛みに慣れることが出来るんだろうか? いや無理だ。死ぬ~~~!

と毎回思います。

以前は主に脹ら脛、足の指、太股、それに右下腹くらいでした。右下腹が痙攣した時、いったい

どうなっているのかこの目で確かめたら、そこだけ数センチお腹が凹んでいました。痛みと共に

痙攣が納まると、空気がボールに戻ったようにポコッと戻りました。

最近この痙攣が脇腹、背中、首、など上半身にもおこるようになりました。友達との楽しい会話が

長くなると、必ず胴のまわりで痙攣が起こり、あいたたたたと一時会話を中断して安静にしなければ

なりません。困ったことです。



そこで、私はこの間指の怪我の時とった行動を痙攣にもとることにしました。

痛い場所を特定し、その周辺の痛くない場所を確認し・・・・

すると今までより、少し痛みが和らぐような気がします。痙攣が早く治るような気がします。

面白いのは、普段痛くないところ、なんて確認したりしませんが、だってそれが普通なのですから、

気持ちいいでも、痛いでもなく、ただ普通に、あぁここは痛くないと確認すると

普段そんな風に意識されたことのない体の部位が照れているような、ちょっと喜んでいるよな

気がすることです。


痒みによわいぼくは痒みにもこれを適用しています。痒みは治まりませんが、少しましです。

ただし頭痛と疲労にはあまり役に立ちません。

頭痛も疲労も特定するのが難しく、本の少ししかましになりませんでした。

練習が足りないのか、不可能なのか、どうかしら。


心の痛みにはどうでしょう。

今度やってみます。