klimbrothers’s 童話と絵ブログ

本当ハ面白イクリム童話と絵描きグスタフクリムのブログです。

ロダン/あくまでも僕の感想

兵庫県立美術館ロダンを見ました。

同時に美術館の収蔵作品の展示も見ました。

三時間も居ましたが最後は駆け足でした。

何を書きましょう。それくらい沢山の印象を受けました。

でも、まずロダンから。

展覧会というのは不思議です。そしてだから面白い。

僕の不遜故なのかも知れませんが、展覧会で本物を見ると

凄さに圧倒されつつ、逆に大家に対してとても親しみが増すのです。

美術館の演出にのせられていることもあるかも知れませんが。

僕は時々歴史を変えた偉人は本当にその当時もっとも先端を行く人だったろうか

と思うことがあります。

織田信長豊臣秀吉より凄い思想を持っていた人がきっといたろう、

しかし、何かが欠けていたか、何かの巡り合わせで、表舞台に登場し

歴史に名を残したのは別の人物だったのではないかと。

ロダンを見ていて同じ不謹慎な思いに捕らわれました。

ロダンとマイヨールとブールデルの中で最も偉大だったのは

本当にロダンだろうか。

ここで断りを入れさせていただきますが、この三人で僕が一番好きなのは

圧倒的に魅了されているのはロダンです。

しかし、ロダンロダンたらしめているのは

彫刻家としての資質というより、ロダンが最も興味をいだいたもの

ロダンが一番惹かれた物、ロダンの好み、ロダンの性格であるような気がします。

ロダンは人の内面のどろどろしたものが大好きだったみたいです。

ロダンといえばもの凄いリアリティの芸術家だと思っていました。

『青銅時代』は人から型をとったと噂されたほど。

でも、今回改めて実物を沢山見て印象を強くしたのはそれとは正反対の

平気で自然を歪めることの出来る人、人の体をいびつに偏らせ、

全く意外な塊や面を現出させ、抽象的にもの凄く印象的な造形を

生み出せる人だったのではないかということです。

これまた不遜そのもののような感想ですが、足の大きさはともかく『青銅時代』以外は

写実的というよりも、まるで筋肉や骨格を積み木のブロックのように組み合わせ

ドラマチックな造形を生み出しているように見えました。

僕の印象です。僕の個人的確信です。客観性はゼロなので真に受けないで下さい。




『パンセ』についても少しお話します。

中学生の時、父親が買ってくれた百科事典で写真を見たミケランジェロの『ピエタ』と

ロダンの『パンセ』は僕にとっての女性の美しさの原情景となりました。

今回オリジナルではありませんが石膏像という形で『パンセ』に出会うことが出来ました。

そこにあの原情景を見いだすことはかなり難しいことでした。

素材の違い、照明などの問題もきっとあるでしょう。

ブロンズのひな形になる石膏像は彫塑の場合オリジナルが持つ作家の意図を

かなり忠実に伝える物としてロダン自身も自ら展示したことがあるそうです。

もろさ故に展示されることが少なく見る機会のほとんど無いそれらの石膏像は

今回の展覧会の目玉だったようです。

『パンセ』のオリジナルは大理石の彫刻です。

ロダンが好き放題、やりたい放題している粘土による彫塑と

ロダンといえども制約がたっぷりあって淡い柔らかい表現になる彫刻は

全く別のものであることを今回改めて感じ取れたのも僕には貴重な体験でした。

『パンセ』は彫刻として、他のロダンの作品と比べてみても

決して美しい作品ではありませんでした。

天才的な弟子であり、愛人であったカミーユクローデルを描いたからでしょうか

目元が取って付けたような写実表現でした。

それでも僕は石膏像の周りをぐるぐる回ってあの『パンセ』を探しました。

そしてそれはあったような気がします。だから『パンセ』はロダンの作品中でも

やはり特別な美を持った作品だと今でも信じています。



併設されていた収蔵品による特別展示でもいくつもの貴重な体験をしました。

北村四海という彫刻家との出会いは忘れられません。

こんな人がいたなんて。大正時代にすでにこれほどの作品を創造していたなんて。

池田満寿夫の天才も改めて痛感しました。

上手すぎた小磯良平はやっぱり苦労していました。

金山平三はやっぱりよかった。

抽象画は痛い作品ばかりだった。

明治時代に既に色彩とバルールとデッサンとを完璧に掌中にして

見事な日本の肖像画を描いていたXXXX(後で調べます)。


凄い作品ばかりでない、大家達が悪戦苦闘し時にやり遂げ時に失敗する姿から

ほんとうに深い深いものをいっぱい感じ取らせてもらった展覧会でした。