klimbrothers’s 童話と絵ブログ

本当ハ面白イクリム童話と絵描きグスタフクリムのブログです。

犬と猫の価値観

犬と猫の価値観の違いには驚かされる。

ちょっと待った。犬や猫に価値観なんかあるか、って言う人には好みって言い換えてもいいです。
でも、犬や猫と同じような好みの違いを人が持っていたら、それを人は人の価値観の相違って呼ぶだろう
そう思えるほど、見事に人間的な嗜好性の違いを、僕は犬と猫に感じるので、今はそれを価値観と呼ぶことにします。

その違いに思い当たったのは『撫でられる』ということにまつわる犬と猫の大違いを感じたことに始まります。

犬の価値観は観念的で、猫のそれは官能的です。

犬が観念的? そう犬は観念的です。犬は『撫でられたい』のです。『撫でられている』ことを確認したいのです。
相手が本気で『撫でている』かどうか、相手の目を覗いて確かめたりさえします。それが、大事だから。他の犬や
猫を『撫でている』と、割り込んできて自分を『撫でろ』というような不粋な態度までとります。

一方、官能的価値観を持っている猫は『撫でられる』雰囲気を楽しみます。相手が本気かどうか、そんなことどっちでもいいのです。犬にとっての本気は恒久性を求められますが、猫にとっては、今『撫でて』いるんだから本気なんでしょ、ととても刹那的です。『撫でる』『撫でられる』という行為を官能的に共有する雰囲気を楽しみたいのです。

まず、ニャーと一声鳴いて相手の注意を引くと、雰囲気のある内股の歩き方でわざとよろよろ相手に接近し、しかも相手に『撫でられる』前に柱に身体を擦り寄せたりしながら、早くも官能的な雰囲気をかもし出し、その雰囲気で相手を包み込み、相手をして『撫でる』快楽の沼に溺れさせてしまうのです。『撫でられて』いる間も身体を動かし、色んな姿勢をとり、色んな所を『撫で』させ、相手の周りをくるくる回り、終いには相手の肌に優しく歯を立てたりするのです。

犬が相手に求めるのは『撫でる』という労力です。自身を愛しているなら、その証拠として真剣に『撫でて』下さいと相手に要求するのです。猫は何にも求めません。私と一緒にあの雰囲気を楽しみましょう。私も幸せになるは。貴方と一緒にあの幸せな空気を呼吸したいのよ。あなたはあなた。私は私。そして、一緒に幸せに、と言っているみたいです。

『撫でられた』後、犬は人に忠誠を尽くします。猫は、楽しかったは、じゃあね、と何事も無かったかのように去っていくのです。何たる価値観の違い。何たる人生観の違い。

それは人の価値観の違いを犬と猫の性質の違いにおっかぶせているだけだと仰る方々。
まぁ、こんな雑文をそこまで真剣に読まれる方はいらっしゃらないと思いますが、取りあえずそう言う考えもあるでしょう。私はこう思います。人が擬人化するのは犬や猫ではないのではないか。犬や猫が持っていて、人もまた全く同じようにもっている犬の性質や猫の性質を人の特質だと思いこむこと。これが人が無意識にやっている擬人化なのではないか、と。私たちは母の胎内で魚類であったり両生類であったりした挙げ句、人としてこの世に生を受けました。生まれたら、もう綺麗さっぱり犬や猫とおさらばした訳ではないような気がします。私たちは私たちの中に犬や猫を抱えながら、それらと向き合い、時には争い、時には愛でながら、犬でも猫でも全くない人を見つける旅をしているような気がします。