巨人の日記
・
巨人の日記
・
男はそうやって、
ながいこと
たおれていた。
・
彼が倒れたのは、夏のある暑い日のこと。
水を切らして 野原でたおれた時、
彼は、あることを確信した。
道行く人を見つけ、一応、大声を出してみた。
彼に気付く者は、いなかった。
こんなに大きく、倒れていてはさぞじゃまであろうこのからだ。
人々も、けものも、何もないかのようにすりぬけていく。
彼もうすうす気が付いていた。
存在すると思っていた自分は、
じつは、存在していなかったのだ。
・
ー存在しないー
そう思うと、ある意味彼は、気が楽であった。
なぜものを考えたりできるのか、痛みを感じたりするのか、
という訳はわからなかったけれど、
そんなことは、どうでもよかった。
大声をだしてもよし。
人にぶつかってもよし。
存在しないのだから、
何も 起こらないのだ。
・
男はそうやって
ながいこと たおれていた。
・
そのうち、陽が真上にまで昇ってきた。
太陽は じりじりと
あらゆるものに 照りつける。
”くそう、存在していないくせに、
太陽の熱がなぜわかるんだ。”
彼は、心の中でつぶやいた。
・
数日も経つと、
雲が現れ、雨になった。
カラカラに干上がった頭の上に
パタパタと冷たい雨がかかり、
彼は、一瞬のことであろうが、
幸せを感じた。
・
やがて、雨も上がり、
再び太陽が顔を出した。
じりじりと照りつける太陽。
野原一面が暑い熱気に包まれたが、
なぜかそのここちよさは
消えなかった。
(scene)
・
彼の頭部(の大きなくぼみ)には、
大きな池ができていた。
大きな頭の池には
魚が泳ぎ
水は、暑さの中にも
冷たさを 失わずにいた。
頭につづく
首や 胴のラインに沿って
太い道が
できていた。
足と足の分かれ目には
教会が建ち、
太い道に沿って
うさぎが 水を飲みに来た。
・
彼は、
存在していたのだ。
おしまい
これは妻が2004年7月に描いた妄想です。
新長田で阪神淡路大震災に遭遇して9年後。
東北大地震の7年前。
彼女は当時中央区海岸通にあるgallery Vieさんで
絵話塾という絵本教室に通っていました。
市井みかさんのクラスで数人の人がリレーで描いた絵にインスパイアされて物語を考える授業があり
クラスメートが描いた意味不明な線画にひらめいてしたためた、いわば詩。
以前から好きだったその絵とこの詩。
僕は今この詩は僕たちにとってとても大切なことを語っていると思います。
人は自然から生まれました。
しばらく人として生き続け、そして
やがてまた自然に還ります。
『生めよ、増えよ、地に満てよ。万物を治めよ。』という教えではなく
全てのものに神が宿ると感じ、信じ生きて来た日本人。
人も自然の一部だと悟って、自然と共存してきた日本人。
津波を干渉し対岸の被害を和らげたのは人が造った防波堤ではなく
あの松島だった。
自然の驚異に怯え、自然を恐るべき『対象』としかとらえられなくなりかねない今。
人が人である間にしか味わえない痛みと
やがて来る、そして誰にも訪れるそれらが安らぎへと変わる、自然へ戻る瞬間。
それらを描いたこの詩は、今、生きることの根本を見つめ直し
大きな気持ちで人が人である時間を生き続けるために
とても大事なことを語っていると思います。
ちなみに添付の画像はその線画に僕が色を薄くつけた落書きです。
巨人の日記
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男はそうやって、
ながいこと
たおれていた。
・
彼が倒れたのは、夏のある暑い日のこと。
水を切らして 野原でたおれた時、
彼は、あることを確信した。
道行く人を見つけ、一応、大声を出してみた。
彼に気付く者は、いなかった。
こんなに大きく、倒れていてはさぞじゃまであろうこのからだ。
人々も、けものも、何もないかのようにすりぬけていく。
彼もうすうす気が付いていた。
存在すると思っていた自分は、
じつは、存在していなかったのだ。
・
ー存在しないー
そう思うと、ある意味彼は、気が楽であった。
なぜものを考えたりできるのか、痛みを感じたりするのか、
という訳はわからなかったけれど、
そんなことは、どうでもよかった。
大声をだしてもよし。
人にぶつかってもよし。
存在しないのだから、
何も 起こらないのだ。
・
男はそうやって
ながいこと たおれていた。
・
そのうち、陽が真上にまで昇ってきた。
太陽は じりじりと
あらゆるものに 照りつける。
”くそう、存在していないくせに、
太陽の熱がなぜわかるんだ。”
彼は、心の中でつぶやいた。
・
数日も経つと、
雲が現れ、雨になった。
カラカラに干上がった頭の上に
パタパタと冷たい雨がかかり、
彼は、一瞬のことであろうが、
幸せを感じた。
・
やがて、雨も上がり、
再び太陽が顔を出した。
じりじりと照りつける太陽。
野原一面が暑い熱気に包まれたが、
なぜかそのここちよさは
消えなかった。
(scene)
・
彼の頭部(の大きなくぼみ)には、
大きな池ができていた。
大きな頭の池には
魚が泳ぎ
水は、暑さの中にも
冷たさを 失わずにいた。
頭につづく
首や 胴のラインに沿って
太い道が
できていた。
足と足の分かれ目には
教会が建ち、
太い道に沿って
うさぎが 水を飲みに来た。
・
彼は、
存在していたのだ。
おしまい
これは妻が2004年7月に描いた妄想です。
新長田で阪神淡路大震災に遭遇して9年後。
東北大地震の7年前。
彼女は当時中央区海岸通にあるgallery Vieさんで
絵話塾という絵本教室に通っていました。
市井みかさんのクラスで数人の人がリレーで描いた絵にインスパイアされて物語を考える授業があり
クラスメートが描いた意味不明な線画にひらめいてしたためた、いわば詩。
以前から好きだったその絵とこの詩。
僕は今この詩は僕たちにとってとても大切なことを語っていると思います。
人は自然から生まれました。
しばらく人として生き続け、そして
やがてまた自然に還ります。
『生めよ、増えよ、地に満てよ。万物を治めよ。』という教えではなく
全てのものに神が宿ると感じ、信じ生きて来た日本人。
人も自然の一部だと悟って、自然と共存してきた日本人。
津波を干渉し対岸の被害を和らげたのは人が造った防波堤ではなく
あの松島だった。
自然の驚異に怯え、自然を恐るべき『対象』としかとらえられなくなりかねない今。
人が人である間にしか味わえない痛みと
やがて来る、そして誰にも訪れるそれらが安らぎへと変わる、自然へ戻る瞬間。
それらを描いたこの詩は、今、生きることの根本を見つめ直し
大きな気持ちで人が人である時間を生き続けるために
とても大事なことを語っていると思います。
ちなみに添付の画像はその線画に僕が色を薄くつけた落書きです。