お天気
小学生の頃、学校の南側にある校庭の、一番南端にある鉄棒で、
掌を錆の匂いでいっぱいにして遊びながら、
雲が流れる度に、燦々と光り輝いたり、薄暗くなったり、
ずっと変化を続ける運動場の景色に半ば驚きながら、不思議な事を考えた。
『これは晴れなの?曇りなの?
お天気予報なら、曇りとか晴れとか決めるかもしれないけど、
ずっと変化し続ける・・・晴れの中に曇りがある。曇りの中に晴れがある。
光の中に陰、影の中に光・・・。
お天気予報で晴れたり、曇ったり、って言われても、僕の印象とは全然違う。
だって、曇り空の上には、晴れのお陽様が輝き続けているんだよ!
お陽様も雲もずっと存在し続けているんだよ!
どっちなんだろう?晴れなの?曇りなの?』
勿論、国語も算数も理科も社会も苦手で、得意なのは図画だけだった僕だから、
論理的にも科学的にも哲学的にも思考していた訳ではなく、
ただ不条理の海で溺れる様な妄想を続けていただけ。
『ずっと変化を続けるお天気。だったら、僕の人生は晴れていると言えるの?
曇っていると言えるの?どっちなの?
51%は晴れていた。49%は曇っていた。だから、どちらかと言えば、
晴れ!と言われても、全然しっくり来ない。』
そして、小学四年生の僕が辿り着いた結論がこれ。
『今だ。今が僕のお天気なんだ。
この瞬間。この瞬間が僕のお天気なんだ。
人生の終わりの瞬間に晴れていたら、僕の人生は晴れだと思うんだろうなぁ。
終わりの瞬間に曇っていたら、人生は曇りだったと思うんだろうなぁ。』
その後、晴れと曇りを幸福と不幸に置き換えたことは一度もない。
ただ、瞬間と永遠を同義語のように感じている僕らしい妄想だったなぁ、と思う。
今でも、最期の瞬間が雨降りであることを切に祈る僕は、きっと未だに小学生。
今日は正に雨降りだったけど、
目が覚める直前に見た夢の景色はこんな感じだった。
不思議、不思議!