klimbrothers’s 童話と絵ブログ

本当ハ面白イクリム童話と絵描きグスタフクリムのブログです。

続・クリムへの過剰な警告

Yahoo! blog に書き込めない(何で???)お友達から

メールを頂きました。

閾値

『しきいち』または『いきち』と読むそうです。

しきい値フォトショップを使っている人ならば目にしたことのある言葉でしょう。

フィルターがかかり始める度合いをスライダーで加減するパラメーターとして。

もともとは感じる最小限の刺激の大きさという意味だそうです。

この値が小さいとちょっとした刺激でも痛いとかこそばゆいとか痒いとか感じる訳です。

敏感な人ですね。

二つの異なる刺激が違う、って解る違いの度合い、刺激の強さの違いを言うこともあるらしい。

僕は鈍感なのでピアノでト・レと弾かれて、今の二つの音上がった?下がった?と聞かれても

解らないから、『閾値』が大きすぎるのでしょう。小さければ半音でももっと小さな微分音でも

聞き分けられるのでしょう。


友人はこの値が高いと命を縮めてしまうことを丁寧にお話して下さいました。



閾値



現代人はこの値が高くなりすぎているのではないだろうか。

5日の事故の時、前に乗られた方が変な音がしたと証言しています。

警告と受け止めなかったのだろうか。僕が居合わせてもそうだったでしょう。

先日の電車内での強姦事件でも、内輪もめだと思ったと乗客の人は証言しています。



ゲームが少年犯罪増加(ほんとうに増えているかどうかは?)の原因という説には

胡散臭さを感じるのだけれど、なぜなら残酷な物語は昔からあったから。

けれども、こと刺激という観点から見れば全く無関係ではないかも知れないという気がします。



僕たちは常に理性的でいられる訳ではない。

それでも、危険や破壊を未然に防げていたとしたら、五感に対する警告の刺激が

本能を動かしてくれていたからではないだろうか。


銀行員の数億円もの使い込み事件が良くありました。

僕たちは札束にも警告を感じます。びびります。しかし、それも麻痺するのでしょう。

轟音や騒音にならされた僕たちはピカドンでさえ、今何か光ったね。大きな音もしたよ

と見過ごし、聞き流してしまうのでしょうか。




簡単なお話を七面倒くさく書いたのは、『閾値』が

示唆に富んだ言葉だなと思ったからです。ゴメンナサイ。